魚種変動の衝撃:第1部 イカはどこへ(4)過去の不漁、海外に活路(2018/04/19)
デーリー東北

魚種変動の衝撃
第1部 イカはどこへ

 イカの街を突如襲った長期不漁。ほかにもイカと並ぶ二本柱のサバが小型化の傾向が続くなど、急激な変動に揺れている。現状と背景に迫るとともに、今後の針路を探りたい。

(4)過去の不漁、海外に活路(2018/04/19)

国内唯一の大型イカ釣り船「第30開洋丸」の出漁=7日、八戸港館鼻岸壁
 4月7日、八戸港の館鼻岸壁。国内に残された唯一の大型イカ釣り船「第30開洋丸」(349トン)が汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと出港していった。
 不漁のスルメイカの代替としてアカイカの資源状況を探る調査出漁。船を所有する開洋漁業(八戸市)の河村桂吉社長(66)は「イカ釣り業界、加工業界のためにも結果を出したい」と期待を込めて見送った。
 1980年代には国内から130隻近い大型イカ釣り船が海外漁場へ出漁。その大半が八戸に水揚げし、“ハマ”は繁栄を謳歌(おうか)した。遠い海へとこぎ出したきっかけの一つは、前沖の記録的な不漁だった。
   ■    ■
 70〜80年代、八戸の前沖ではぱったりスルメイカが取れなくなった。戦後の復興期から水産都市の発展を支えてきた主要魚種の突然の異変。5万トンを超える年もざらにあった前沖の水揚げは73年に1万トンを切ると急減し、特に76年からは438トン、173トン、302トン、197トンと、ほぼ漁獲がない状態が続いた。
 「イカの刺し身なんて高くて、とても口に入らない。食べてる人を見掛けると『どこの金持ちだ』とささやいたものだ」。当時を知る八戸漁業指導協会の熊谷拓治会長(80)は、冗談交じりに振り返る。
 代わりに取れだしたのがマイワシ。ほぼ千トン台だった水揚げは76年に1万7千トン、78年に10万6千トン、81年に24万トンと爆発的に増えた。急激なイカ不漁とマイワシ豊漁―。現在の八戸と似通う傾向だ。
 この時、イカ釣り漁業者は途方に暮れるだけではなく、海外漁場に活路を見いだそうとした。
 ちょうど船内の冷凍技術の普及と相まって、第30開洋丸のような大型船がニュージーランドやアルゼンチン、ペルーなどへ続々出漁。スルメイカに代わる加工原料を調達してきた。
 日本海に回った中型イカ釣り船の冷凍品にも支えられ、八戸港は2000年代序盤まで国内外から毎年10万〜20万トンのイカ水揚げを確保。空前の危機を逆手に「イカの街」の座を揺るがぬものとした。
   ■    ■
 ところが、海外操業は規制との戦いでもあった。各国は90年代、自国の排他的経済水域(EEZ)で日本船の操業制限を強めた。「それまで見向きもしなかったイカの経済価値に気付き、自国利用を考えるようになった」(熊谷会長)
 八戸の船は高額の入漁料を払ったり、現地との合弁事業にしたりして生き残りを図った。だが、狭まり続けた海外漁場は00年代になると一気に縮小し、大型船は次々と海外への売却や廃船に追い込まれていった。
 16年にはニュージーランド沖で操業していた最後の1隻、第30開洋丸が同国政府の規制を受けて撤退。ついに日本のイカ釣り船は海外漁場から姿を消した。
 「国内でこの船だけ残せたのは、乗組員が頑張ってくれたから。何とかしのいでこれた」と河村社長。遠洋を長期航行できる第30開洋丸は貴重な存在で、現在は日本海での操業の傍ら、国の調査機関によるアカイカやトビイカなどの調査に活躍している。
 八戸が前回の危機を乗り切れたのは海外漁場のおかげ。だが、今回は頼りにできない。むしろ、問題なのは日本のEEZにおける外国漁船の違法操業の方だ。
 昨年秋以降、日本海側の海岸には多くの木造船や遺体が打ち上げられた。船体に書かれていたのは、ハングル文字だった。

PR

  •  47NEWSは47都道府県52新聞社のニュースと共同通信ニュースを束ねた総合サイトです。
  •  全国の1,300を超えるショップと47都道府県の地方新聞社が一緒になって活動をしています。青森の“おすすめ”はこちらから。
  •  家族や友だちといっしょに記事を読み、感想・意見などを書いて記事とともに応募するこのコンクールは、「思考力・判断力・表現力」を重視する学習指導要領の理念も念頭に置いた企画です。。
  •  共同通信PRワイヤーは共同通信グループのプレスリリース配信サービスです。

  •  広告ビジネスに携わる方々に「新聞」と「新聞広告」の特性をご理解いただくことを目的として運営しています。
  •  自分に合った読み方を診断してみよう。きっと新聞の読み方が変わるハズ?

  •  日本で唯一の「ナショナル・プレス・クラブ」です。人々の「知る権利」に資するジャーナリズム活動の拠点です。