心を救う 皮膚科医 薄場 眞
デーリー東北

心を救う 皮膚科医 薄場 眞

 八戸市の薄場(うすば)皮膚科医院でアトピー性皮膚炎をはじめとする疾患の治療に尽力した薄場眞(まこと)氏が3月、89歳で死去した。独自に考案した軟こう療法を求め、医院には今も全国から多くの患者が訪れる。家族や看護師らの話を基に、薄場氏の人となりと足跡をたどった。

(下)禍福(2017/05/05)

薄場眞の白衣の袖口を結ぶ妻の美知子。診療日に欠かさず行う日課だった=2004年(薄場皮膚科医院提供)
 薄場皮膚科医院の待合室に、ささやかな書が今も掲げられている。
 〈禍福は糾(あざな)える縄のごとし〉。この一言が、薄場眞の終生変わらぬ人生観を表している。
 薄場は1928(昭和3)年、皮膚科医だった父の故郷仙台市に生まれた。幼くして大病を患い、温暖な静岡県清水市(現・静岡市)へ一家で移住した。父が当地で開いた医院は、太平洋戦争末期の45年7月、空襲で全焼。数日後には仙台の実家も灰じんに帰した。八戸は、つてを頼って行き着いた疎開先だった。
 精神的に落ち込む患者に、薄場はよく自身の“災難歴”を記したコピーを手渡した。自分もこれだけの「禍(わざわい)」を味わいながら、元気に生き延びた。みんなにもきっと幸せが訪れる、と暗に語り掛けながら。
◇    ◇
 薄場にとっての「福」は、多くの患者を救ってきた医師としての誇りと、それを支える家族の存在だった。
 大恋愛の末に結ばれた美知子との間には3人の子どもを授かり、平等に惜しみない愛情を注いだ。夫が医師として成功してからも、美知子はつつましい暮らしぶりを変えず、患者と看護師を励まし、食事を振る舞い続けた。家族旅行さえままならなかったが、子どもたちにとって父の背中は、とりわけ大きく映った。やがて長男の秀と次女の泰子は父と同じ道を歩み、県外で勤務医として働き始めた。
 「この前1カ月くらい入院したのですが、そのときは息子と娘にやってもらいました。幸い皮膚科医になってくれたものですから」(92年のインタビュー記事より)
 将来の跡継ぎとして期待された秀は1年後の93年、くも膜下出血で急逝した。37歳の若さだった。
 薄場ははた目にも分かるほど憔悴(しょうすい)した。遺影の前で、ひとりごちた。「弔い合戦だ、敵討ちだ」。死ぬ時は診察室で―。昔から冗談交じりに語っていた自身の覚悟を、改めて固めた。
 2016年6月には最愛の妻を失い、体力も限界に近づいてきた。17年2月半ばを境に、診療を泰子に任せ、医院と廊下続きの自宅で長女明子の献身的な看病を受けた。
 発声も衰えを見せ始めた3月中旬、見舞いに来た医学生の孫に向かって、声を振り絞った。
 「頑張れよ」
 孫へというより、医業を志した戦友≠ヨの激励のような響きが、最期の言葉となった。
 3月25日、普段通りの治療に明け暮れる院内のざわめきを耳にしながら、薄場は89年の生涯を終えた。
◇    ◇
 薄場皮膚科医院は現在、泰子が週3回、診療を引き継いでいる。
 千葉県在住で、子育て中の身。急激な環境の変化に戸惑っていた泰子の背中を押してくれたのは、患者たちだった。
 「ここがなくなったら、どこにも行き場がない」「週1回でも開いていてくれて、良かった」
 「父のように超人的な働き方はできないけれど、患者と真摯(しんし)に向き合う姿勢は忘れません」。父と苦楽を共にした33人のスタッフと一緒に汗を流している。
※敬称略

(中)激務(2017/05/04)

最盛期の患者は1日数百人。薄場眞は看護師らと共に診療に明け暮れた=2005年(薄場皮膚科医院提供。写真の一部を加工しています)
 1991年、八千代旅館(八戸市類家)に戻ってきた一人の宿泊客の姿に、経営者の北村妙子は目を見張った。皮膚という皮膚が、包帯で覆われている。何があったのか、聞くに聞けない。
 「薄場眞先生の患者ですよ。アトピー性皮膚炎の治療に来たんでしょう」。後に常連客の製薬会社社員が教えてくれて合点がいった。旅館と薄場皮膚科医院は徒歩数分の距離。72年に旧山形村(現久慈市)から嫁いで以来、薄場の評判はいつも耳にしていた。その後、薄場を頼る患者が口コミで次々と滞在するようになった。
 軟こうの強いにおいは館内でも存在感を放った。一般常連客の中には、宿泊先を変更する者も少なくなかった。
 それでも北村は患者の受け入れを続けた。高い旅費を払ってまで助けを求めに来る人々を、拒む気には到底なれなかった。
◇    ◇
 戦後、最も効果的なアトピー治療薬としてステロイド剤を重用する風潮は、80年代に一変する。誤った使用による副作用が問題視され始め、不要論も続出、多くの患者が混乱に陥った。中には医学的根拠のない民間療法で症状を悪化させたり、新興宗教にすがって莫大(ばくだい)な身代を失ったりする人も。心身共に疲れ果てた人々が薄場に助けを求めるケースが90年代から急増した。
 従来からステロイドの適正使用を唱える一人だった薄場は、極度に副作用を恐れる患者や家族を看護師と共に根気強く説得。休診日にも講座を開き、医学的知見に基づく正確な知識の普及に努めた。
 激務を心配する周囲の反対を抑えてメディアに登場すると、重症患者が一気に押し寄せ、数年先まで診察の予約が埋まった。「一人でも頼ってくる患者がいる限り、倒れるまで診るんだ」。早朝から深夜まで、一日に数百人を診察する日も珍しくなく、実際に過労で3度入院した。
◇    ◇
 薄場の多忙化と軌を一にして、八千代旅館にも宿泊予約が殺到した。関東、近畿はもとより、福岡、沖縄、ハワイからも。客室が12部屋しかなく、断りを入れることもしばしばだった。
 軟こうの色が寝具に付着するのを防ぐため、タオルケットなどを持参してもらう以外は、普通の宿泊客として遇した。
 北村はうれしかった。階段の上り下りさえままならなかった重症者が、診察を重ねると見違えるほど元気になる。帽子を目深にかぶって訪れた女性が、回復した素顔に笑顔を浮かべて帰って行く。完治後に結婚、出産の報告をくれた女性もいた。「まるで母親、看護師さんになった感じ。治療をお手伝いしているような気分になれたのね」
 市内を歩き回る全身包帯姿の患者を、いつしか市民も奇異の目で見ることはほとんどなくなった。その気安さも、患者にとっては心強いものだった。薄場の医療は、地元の理解と協力にも支えられていた。
 支え手の一人でもある北村は、薄場の死を悼みながら、そっとつぶやいた。「もう年だから店じまいも考えていたけど、医院が続く限りはなるべく頑張ってみようかな」
※敬称略

(上)薄場さんとこのにおい(2017/05/03)

アトピー性皮膚炎をはじめとする疾患の治療に尽力した薄場眞。治療を終えると、満面の笑みで患者を送り出すのが常だった=2016年(薄場皮膚科医院提供)
 今はやりのステロイド外用薬は、果たして万能なのか―。1954年、東北大医学部を卒業して母校の皮膚科に入局したばかりの薄場眞は、恩師からこう問い掛けられた。
 前年に米国から日本に紹介されたばかりのステロイドは、その即効性と肌滑りの良さ、薬品臭の少なさから、旧来の皮膚治療向け軟こうを駆逐する勢いで広まりつつあった。
 「万能薬などというものはないでしょう」。薄場の直感は、数年間の臨床研究を経て確信へと変わった。多くの皮膚疾患は症状によって新旧の軟こうを使い分け、数種類を塗り重ねることで、より良い効能が得られるとの知見を得た。八戸市に父が設立した医院を32歳で継いでからも、試行錯誤は続いた。
◇    ◇
 その結果、たどり着いたのが「重層法」である。
 ステロイドをはじめとする新旧の軟こうを複数塗り重ね包帯を巻く。症状が重い場合は、患部を洗い流さずに軟こうを毎日塗り重ねることで薬効を持続させた。必要な軟こうがなければ自ら調合を考案し、市販薬と併せて約150種類をそろえた。
 特にアトピー性皮膚炎の患者に対しては、全身に満遍なく軟こう処置を施し、顔面にも包帯を這(は)わせた。必要な治療とはいえ、数日間は入浴もできない。軟こうの紫色は、しばらく肌に沈着する。患者にとっては少々難儀だったが、その確かな効能は徐々に認められていった。
 皮膚科を受診した患者は、良くも悪くも目立った。というより、におった。無臭のステロイドが全盛を極めた当時、昔ながらの軟こう成分はとりわけ強いにおいを放った。市民は親しみを込めて「薄場さんとこのにおい」と形容した。
 大量の内服薬や注射による副作用を可能な限り避け、最も安全で速やかに苦痛を取り除きたい―。
 薄場の信念は広く受け入れられ、やがて口コミで遠方からの患者も多く集うようになった。
◇    ◇
 薬効以上に患者へ感銘を与えたのは、薄場と看護師による親身な姿勢と、精神的ケアである。
 肌の疾患は目に見えるだけ、患者の精神的なショックは大きい。思春期を迎えた未成年や女性であればなおさらだ。
 薄場は治療の前後に、発症の原因を細かく確認し、説明することを忘れなかった。治療だけでなく、たわいもない話題から人生の悩みまで、時間の許す限り腹を割って語り合った。その折々にエールを送った。
 患者が軟こうの塗り方を自ら覚えられるよう看護師が実演する際は、感染の恐れがない限り素手で塗布させた。スキンシップのぬくもりに癒やされたという患者の声に、薄場も満足した。
 単なる治療では終わらない、血の通った触れ合いを重ねるにつれ、患者が薄場たちへ寄せる安心感と信頼感は高まっていった。
※敬称略

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