まつり再考:第1部(1)【時代の波】経済効果狙い夏祭りに(2016/10/15)
デーリー東北

八戸三社大祭 まつり再考
第1部 開催日程

(1)【時代の波】経済効果狙い夏祭りに(2016/10/15)

初めて8月1日に行われた八戸三社大祭のお通り。以来、夏祭りとして定着したが、本来の秋祭りらしさを取り戻そうという動きも。日程変更を巡る議論が再燃している=1982年、八戸市中心街
 今から約300年前、江戸時代の1720年。天候不順が続いた八戸地方で、凶作を心配した地元の有力者たちが、普段から厚く信仰する法霊大明神に祈りをささげた。すると天気は回復し、無事に秋の収穫を迎えることができた。人々は感謝の気持ちを込め、翌年から長者山を御旅所(おたびしょ)に、神様を祭る法霊社の神輿(みこし)を進める祭礼をにぎやかに執り行った。

 八戸三社大祭は1721年、法霊大明神の神輿行列が初めて長者山に渡御したのが起源と伝えられる。法霊社は現在のおがみ神社。御旅所とは、渡御の途中に神様が宿泊する場所を指す。
 五穀豊穣(ほうじょう)を願う神事に、明治時代から長者山新羅神社、神明宮が加わって「三社」に。さらに、各町内が趣向を凝らして制作した豪華な山車が「附祭」として行列に付き従い、現在の形態へと発展した。
 間もなく300年の節目を迎える祭りは元来、旧暦の7月20日から3日間の開催だった。1910年には旧暦での実施をやめ、9月1〜3日に固定した秋祭りに。しかし戦後、開催日程は2度にわたって前倒しされることになる。
 60年には、台風の襲来時期と重なり悪天候が多いことなどを理由に、8月21日にお通りが始まる日程へと移行した。8月とはいえ、暦の上では秋の始まりとされる「立秋」の後の開催。八戸ではお盆を過ぎると一気に涼しくなる年もあり、当時を知る人々からは「まだ秋祭りの雰囲気を残していた気がする」との声が聞かれる。
 それを7月31日の前夜祭で開幕し、8月1日にお通りを実施する現在の日程に繰り上げたのは82年。以来、三社大祭は名実共に「夏祭り」となった。
   ◇    ◇
 82年は、東北地方が東北新幹線大宮―盛岡間の開業に沸いた時代。盛岡市まで新幹線が開通し、首都圏から観光客を誘致する好機が訪れていた。
 そこで注目を集めたのが、青森ねぶた祭や秋田竿燈(かんとう)まつり、仙台七夕まつりといった東北各地の大規模な夏祭りだった。これらの日程が8月上旬に集中しているのに対し、三社大祭は下旬の開催。観光・商工業界を中心に「三社大祭を連動させれば観光客が増え、地元も潤うのではないか」との見方が広がり、日程繰り上げの議論につながった。
 結論はこの年の4月、一気に決着する。経済界の強い要望として受け止めた3神社は「市民の声がそうであれば」と了承。山車組関係者で組織する八戸山車振興会は「全く相談がなかった」と一時反発したが、最終的には「協力せざるを得ない」との意見でまとまった。
 一方、「神事の日程を軽率に変えるべきではない」との声は当初から根強く、経済効果を重視して急ぎ進められた日程繰り上げに、懐疑的な人は今も少なくない。当時、若手の山車制作者として第一線で活躍していたある関係者は語る。
 「あの時、日程が変わるのを制作現場が知ったのは全てが決まった後だった。賛成、反対と意見する時間もなかったよ」

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